ANA国内線【PR】

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ヴェネシア スタンレイ  



ケネルム ディグビィの妻のヴェネシア(1600/12-1633/5/1)の、おそらく10歳少しくらいでしょうか。Peter Oliver が描いています。なかなかの美人でしょう。

彼女は英国のスチュアート期の名高い美人でした。
十代の初めに単身ロンドンに移り住み、20歳になるまでに既にうわさの的になっていたようです。
その噂によれば、イングランド南部のRichard Sackville伯爵の側室となり、彼との間に子供をもうけ、年間500ポンドの手当で囲われていたと言われています。1624年に伯爵が亡くなり、1625年にディグビィと結婚しているのです。
しかも彼女が亡くなる8年前から彼女はワインの中に毒蛇又は蛇毒を入れて飲んでいたようです。ディグビィによれば、健康ではあったが、時々頭痛を訴えていたといいます。彼女が亡くなったのは1633年ですから、結婚した頃には既に毒入りワインを飲んでいたことになります。




成人してからのヴェネシアですが本当に美人でしょ?


続く。

# by dukelancelot | 2010-11-30 20:00 | kenelm digby | Trackback | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 Kenelm Digby  

ケネルム ディグビィ、Kenelm digby(1603/7/11—1665/6/11)彼に関してWikipedia から引用して、少し説明をしたいと思います。(緑色の部分が引用箇所です。)



彼はイギリスの廷臣、外交官、自然哲学者です。

ローマンカソリックを信奉するジェントリの家系に生まれ、彼の父、Sir Everardは火薬陰謀事件(1605/11/5)に関与したかどで1606年にセントポール教会の西端で処刑。
ジェイムズⅠ世の推挙を受けてEdomund Boltonが計画したロイヤルアカデミィのメンバーになり、1620—1623年の間をヨーロッパで過ごしそのときMarie de Mediciから激しい愛を告白される。

1624年ジェイムズⅠ世がケンブリッジを訪れた際に彼はCambridge M.A.となり、1625年Venetia Stanleyと結婚。ジェイムズⅠ世の英国枢密院のメンバーとなる。
このとき、ローマンカソリックであることが政府役人として妨げになると判断し、英国国教会の信徒に転向。

1628年私掠船の船長となり、1/18ジブラルタルでスペインとフランドルの船を捕獲。2/5—3/27アルジェに錨を下ろし、--船員が病気になったためだったが--英国船舶にとって有益なる約束ごとを取り決める。
マジョルカでオランダ船を襲い、その他勇敢なる行ないで、フランス及びヴェネチアの船対しイスケンデルの港において6/11完璧な勝利の戦いを展開。
イギリスに戻り海軍司令官となり、後にトリニティハウスの総司令官となる。

彼の妻が、1633年急死。臨終の肖像画家であるヴァンダイクそれにベンジョンソンには称徳文を依頼。彼は悲しみと王による検死の命令に打ちのめさる。Gresham College に隠遁し科学実験とカトリック信仰で悲しみを忘れようとする。

1635年カソリック信徒となり、パリに逃れる。そこでほとんどの時間を1660年まで過ごす。
スコットランドに監督制を設定する目的で、チャールズⅠ世のために帰国。

1641年再び英国からフランスへ渡る。フランスの著名なMont le Ros を決闘で殺害し彼は1642年フランダース経由でイギリスへ戻る。下院により投獄されますが、結局はオーストリアのAnn の仲介により放たれフランスへ。そこでイングランド内戦の期間留まる。議会にイギリスでの財産の没収を言い渡される。

女王のHenrietta Mariaは1644年イギリスへ戻り、彼は彼女の閣僚となる。インノセントⅩ世に懇願して英国王国の支持を訴えるが失敗に終わる。

思想、良心の自由を信じるオリバークロムウエルの護民官政府のもとで、イギリスローマンカソリックの非公式な代理人として1655年教皇に対し理解を求めるために使命を帯びて派遣されるが失敗。

王政復古時に於いては、チャールズⅡ世の母親に当たるヘンリエッタとの繋がりで新しい政治体制下に於いても人気があり、チャールズⅡ世とはしばしば衝突があるものの62歳になり、腎臓結石のような石により亡くなるまで重用された。


ディグビィは同時代の人々からは変人扱いされたが、それは一つには彼の溢れるばかりの魅力を持った個性と、科学に寄せる関心によるものである。科学的な研究が抑えつけられていた時代にあって
膨大な時間を占星学と錬金術に費やす。

彼の研究の中でも注目すべきは、類感力に関するものである。これは類感呪術に属するもので、占星術に基いて作ったパウダーを患部ではなく、傷を与えた部分に塗ると傷が癒えるというものである。彼のこの本は29版を重ねるほどに評判であった。この理論は1687年にlongitude problem を解決する糸口となった。

1644年、哲学書を二冊出している。Nature of the Bodies (体の特性)、とOn the Immortality of Reasonable Souls(理性ある魂の永遠性に関して)であり、この研究は彼の自然科学者としての仕事であり、アリストテレス学説と原子論から成り立っている。

彼はその時代の先端の知識人との交際があり、彼らから高く評価されていた。彼は英国学士院の設立メンバーの一人であり、1622-1633年にはその評議委員を務めている。数学者ピエール・ド・フェルマー(1601-1665)との書簡の中にピエールによる無限降下法による数学的証明が残されている。
1661年植物の生育に関する論文を発表し学士院に物議をかもした。彼は植物の維持に欠かせない物質として酸素に言及した始めての人物である。

料理書、The Closet of the Eminently Learned Sir Kenelm Digby Knight Openedを書いており、出版したのは彼に仕えていた執事であり、彼の死後4年経った1669年である。ミード酒のような時代がかった内容のレシピである。

以上のような内容でディグビィが語られていますが、良く読むといくつかの点で疑問が生まれたと思います。

火薬陰謀事件を起こした息子が何故そんなに重用されたのか。
王様が検死を命じる彼の妻、ヴェネシア スタンレイとはいったい何者なのか。
類感呪術とはどのようなものなのか。
海軍司令官を務め、学士院を作り、画家のヴァンダイクその他の著名人、それに数学者のフェルマーと書簡を交わす程の人物が書いた料理書とはいったいどのようなものなのか。
チューダー朝中期(1150年頃)の料理を集めたというがその中身は?そしてその意図は何なのか。

そのほか解らないことがたくさんあります。
判り次第、順次この場でお話していこうと思っています。
お付き合いいただければうれしいです。又ご意見をいただければありがたいです。

http://www.eonet.ne.jp/~annabel/からメールすることも出来ます。

かなりの内容です。全体の1/3をミード酒が占めていてそれだけでもディグビィの変人ぶりを体感できます。翻訳には2-3年かかりそうです。翻訳が済み次第、上のサイトでご紹介する予定です。

# by dukelancelot | 2010-11-28 20:25 | kenelm digby | Trackback | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 Luttrell Psalterの世界  



本当に不思議な世界でしょう?
Luttrell Psalterとネットで引くとたくさんの項目が出てきます。
一度ご覧になってください。
世界が変わる事請け合いです。

# by dukelancelot | 2010-11-07 20:31 | 未分類 | Trackback | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 大丈夫?  



Luttrell Psalter.1325-1335

この絵は調理場面を描いた数少ない一つです。
Luttrell Psalter が1325-1335頃に描かせた絵です。

この絵は頻繁に中世の書物に引用されているので記憶にある方も多いでしょう。
Luttrell Psalter の絵は英国趣味で誇張してある部分もあるので、この絵についても、
少しオーバーな表現では?と思って、余り気にはしていなかったのですが。
そうではないことが最近になって分かってきたのです。



料理書の中でも比較的料理の内容がしっかりとしているDu fait de cuisineの、
今日は26日ですから、特に特徴が出ているレシピというのではなく、ランダムに選んだ
ということで、今日の日にちのレシピを取り上げるとその内容は次のようになっています;

26. Almayn の魚のポタージュ

アーモンドを使うのですが、アーモンドを、しっかりと、きれいに、非常に良く洗い、
cornues(手の付いたボール)の中で洗う.きれいな汚れの無いcornues の中で、
きれいで、清潔な、ぬるま湯で3-4回洗う。

そのアーモンドを、きれいで、大きな、清潔なポットの中でボイルする。

という様に非常に細かく何度も繰り返し同じ指示を出しています。

それほど、この時代は、はっきり言えば、”汚かった” のです。
上の絵はトりと子豚を串に刺して焼いているのですが、そのときにも、

”その串はきれいで、汚れがなく、非常に良く掃除をした、きれいな串を用意してと注意が
書かれています。そして焼いたトリは、きれいで汚れのないテーブルの上に置いて”と必ず
指示が付きます。

絵を見ているとそういわずにはいられないほどに衛生状態の悪い状況だったのが
良く分かります。

病気になるのも、それが死に至るのも神の思し召しであると言う時代は次第に遠のいているのです。
食中毒が細菌によるものであるとは分かっていなくとも、どうしたら回避できるかは分かっていたようです。

Du fait de cuisineを書いた、サヴォア家アメーデオ8世(後の対立教皇フェリクスⅤ世)の
名料理人、シカール親分の教えと指示がDu fait de cuisineの中では繰り返し続いています。




# by dukelancelot | 2010-10-25 19:02 | 調理方法 | Trackback | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 猟鳥料理  



この絵は”カップルでシチューを楽しむ”という題が付いています。
日常の習慣であったか否かは別にして、少なくとも願望であったことは事実でしょう。
この絵を見て、後、数ヶ月の間にご紹介できるであろうLe Menagier de Parisに書かれた文章を読んでいただくと、その余りに落差のある、まるで裏と表がひっくり返ったような生活態度に驚愕されることでしょう。

余りに厳しい精神的抑圧によって、社会全体がねじれを起こしているのです。

前回ご紹介した鳥の料理の続きはこんな背景を背負って生まれた料理です。

狩りをして手に入れた獲物は、血抜きがしてないのは想像できます。すくなくとも、十分な処理がなされてはいないでしょう。血のにおいのする、少し踏み込んで言うと、早く料理しないと当たりそうな、傷みかけた肉であるといえます。

とりわけ、鳥の肉は水分が多いために、殺してから、すぐに腐敗が始まっているといえます。
牛の肉のように、熟成という現象は起こりえません。

中世の料理書は、とりわけこの1300年を中心とした時代には、狩猟鳥の風味?を得る為に、ニワトリやシャポンに血を塗りたくって、あるいは殺してから2-3日してから料理をするという方法など、ほかにも様々な手段で鳥を処理するさまが、Le Menagier de Paris のなかに紹介されています。相当に臭ったはずであろうにと思うのですが。
異様ともいえる、その臭いの方が魅力があったのでしょう。

腐敗という概念がなかったとはいえ、余りに反動的な行動に唖然とします。胆石、腎石、胃痛、便秘といった言葉が料理書の中に良く出てくるのも当然です。

# by dukelancelot | 2010-10-10 18:57 | 調理方法 | Trackback | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 鷹狩  



これはベリー公のいとも華麗なる時祷書の中の8月の月暦図です。これから鷹狩に行こうとしているのです。
この時代は鷹狩が盛んでよく行われたのですが、そしてこの貴族たちの姿を見てそのまねだけでもしてみたいと誰もが思ったことでしょう。
しかし鷹狩をするには、ご覧の通り、まず鷹が必要です。それに馬と犬も。お供の者も。
それよりの何よりも、鷹を狩る狩場がいるのです。どんな金持ちであっても貴族には適いません。

鷹狩の後、更にお楽しみが待っています。狩ったトリを使った料理がテーブルに出るのです。腕のいいお抱えの料理人がとびきりのスパイスを使って作るのです。ヤマウズラ、カモ、ツル、白鳥やキジがいい匂いをさせてサーヴされるのです。

一度でもその味を経験した人達は、あるいはその話を聞いた人達は、自分の家でも作って食べてみたいものだと思うのはどの時代に生きる人間でも同じに違いありません。

ところが鷹狩で取ったトリはその一部分が欠けています。鷹の分け前としてトリのどの部分を鷹に渡すのか決まっていました。
例えば、ヤマウズラとカモは頭、ツルはモモという風に。

体の一部分が欠けた,鷹狩で獲ったトりをテーブルに出すという習慣が続くと、鷹狩で獲っていないトリでも料理方法がこれに習うようになります。( Jerome Pichon氏の説)つまり、ヤマウズラは頭を欠いて料理をするという料理方法が固定されるのです。


Menagier de Paris の153.で登場するクジャクの料理でその形跡がはっきりと見られます。

153. クジャク、キジ、白鳥、サギ、野ガン、ツル、ライチョウ、サンコノゴイ、鵜は乾いた状態で羽を抜くか又は、白鳥の様に血を抜く。頭と尾を残すものと、頭と脚を※残しておくものがある。残りのトリは白鳥と同じように扱う。
又、尾を取ったキジはローストするときは背に2-3本の羽を残しておき、後で添えてサーヴする。



ところが鷹狩で捕らえたトリの肉は更に波紋を料理界に広げることになります。



続く。

# by dukelancelot | 2010-09-15 19:17 | 調理方法 | Trackback | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ホームページの開設  

下のwebsite でEnseignements とLe Viandier de Taillevent の
料理書を日本語で読むことができます。フランスの料理書の中にJPNと
あるのがそれです。
これからも翻訳した料理書を載せるつもリですので覗いてみてください。

このblgではこれからも内容を面白くご紹介してゆきますのでご期待ください。

http://www.medievalcookery.com/etexts.html

日本語ではhttp://www.eonet.ne.jp/~annabel/で直接見ることが出来ます。




# by dukelancelot | 2010-08-31 20:24 | 調理方法 | Trackback | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 古典的アントルメ、鶴、白鳥。  

http://www.historicfood.com/Pie%20recipe2.htm

(上のアドレスをクリックするとwebサイトに移動します。)



この中にはまづ最初にヤマウズラのパイが右側に左下にはクジャクのパイが出てきます。これをみると今までにご紹介してきたアントルメのレシピを目で確認することができて、きっと驚かれることでしょう。このほかにも鶴のパイや中世の料理たちがたくさん出てきます。ゆっくりとご覧になってください。

これらの映像や絵はJames Prescott 氏のご好意により送られてきたものです。
ゆっくりとご覧になってください。
又機会があると思いますので、そのつどここでご紹介してゆくことにします。







# by dukelancelot | 2010-08-08 20:02 | アントルメ | Trackback | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 巨大パイの作り方  




いかがでしたでしょうか。パイとは犬も食わない物であるということがよくお分かりになったと思います。
映像の最初の方にパイの中に入れる動物が紹介されて「いましたが、鳥のほかに蛇や蛙を入れたのです。
このような大きなパイは食事と食事の間に出される”アントルメ”として使われたのです。食べることよりも驚かす事が目的でした。
そしてこのような大掛かりなものは1400年に入ってから現れました。それまでのアントルメは以前にお話したように、孔雀や白鳥のアントルメでした。

# by dukelancelot | 2010-08-08 19:35 | 調理方法 | Trackback | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 パイとタルト、フランの違い  




ごらんの映像はパイというものをうまく説明しています。
中世の料理書のパイに関する文章の中には必ずいつも”パイの中に入れる”という表現があります。
この映像でその理由をはっきりとご理解頂けたと、思います。

ベイカーは朝にパンを焼き、そのあとで、焼いたらカチカチになって、とても食べられないパイの入れ物を持って料理人の所へやってくるのです。

料理人はその中に料理したものを入れるのです。例えば、うなぎ、魚、1/4に切り分けたニワトリを入れるのです。そしてベイカーに焼いてもらうのです。

しかし、タルトとフランは違います。料理人自らが入れ物を作って、この場合この入れ物はたべられるのです、この中に料理したものを入れて、やはりベイカーに手渡して焼いてもらうのですが、全ての行程に、焼くことを除いては、料理人がかかわっているのです。

これが パイとタルト、フランの根源的な違いです。

# by dukelancelot | 2010-08-05 19:21 | 調理方法 | Trackback | Comments(0)

< 前のページ 次のページ >